2015年3月31日火曜日

流転


私がこの店を見てなんだこれは!と思ったのは震災の5ヶ月後のことだ。この道路を通るのは年にせいぜい1~2回程度だ。つまりそれまでにも何度も通ったことにはなるが、この店には気づかなかった。それまではこのような異彩を放つディスプレイではなかったからかもしれない。

大相撲の放送を見ると、1文字ずつ力士の名前をプリントした用紙を並べて掲げる客が多いが、あの方式で店のウィンドウに白い用紙を縦方向に並べてディスプレイしている。なんだこれはと思ったのは、文字列がどれも私になじみのないものばかりだったからである。


次にこの店の前を通ったのは震災の9ヶ月後のことで、上の画像がそのときのもの。店のディスプレイは同じだ。「震災の○ヶ月後」といういいかたをするのは、震災、正確には原発事故の余波がディスプレイにうつし出されているからである。


その次にこの店の前を通ったのは震災の17ヶ月後のことだ。店のディスプレイが変わった。8ヶ所に貼られていた小さな張り紙が全部消えた。それらはすべて原発事故を反映した貼り紙だった。

私がこの店をカメラに収めたのはそのときの上の2枚が最後だ。その後も何度か店の前を通ったはずだが、カメラを向けることはなかった。私が最後にこの店の前を通ったとき、店の横にダンボール箱が2、3個置かれていた。「ご自由にお持ちください」という意味の貼り紙がしてある。ダンボール箱の中身は酒屋が客に配るグラス類だ。ちゃっかり2個いただいて帰った。

そして、つい先日この道路を通ったら、この店を含めた一帯の建物が完全に消失していて驚いた。道路の拡張のために建物が解体撤去されたらしい。周りの建物ごとなくなってしまうと、あの店がいったいどこにあったのかまったく見当がつかず、途方に暮れた。

帰宅後、撮影された画像をチェックすると、道路標識、歩道の高低の具合、下水口の配置から店の位置が割り出せる気がした。というわけで昨日現地に行ってみた。道路標識は外されていたが、歩道の縁石の具合と下水口の特徴から100%の確率で店の位置を特定できた。その画像がこれだ。なんという変化か。あの天然ゼオライトが、あのバスペールエールが、あのゲヴェルツトラミネールが、幻のように消えてしまった。ついでに「円高還元」も。震災の数年後、町の都合という名の津波が酒屋を呑み込み、跡形なく消し去ってしまったのである。


現在のグーグルのストリートビューを見ると建物の解体直後のような光景がこのあたりに広がっている。ビューの撮影は去年の3月。したがって、ちょうど1年ちょっと前あたりに建物が撤去されたようだ。私が最後にこの道路を通ったのはその数ヶ月から半年くらい前だったのではないか。店の前のダンボールの中身は店じまいの前に倉庫に残っていたものを出したのだろう。

私がダンボール箱の中からもらってきたグラスは次の2つだ。


長野オリンピックではこんなマスコットが使われていたのだった。ぬいぐるみのマスコットが全盛の今はマスコットはどれも丸っこいが、このマスコットは鼻も輪郭もタッチもとんがっていて逆に新鮮だ。
右のほうのグラスの年代を調べたら1992年らしい。CMで「アサヒのZはキレ、香り。一歩進んだうまさです。」とたけしがいっていた。1991年発売のこの缶ビール、1997年に販売を終了している。味は先を行っていても、商品としての先はなかったのである。