先日は皆既月食だった。あいにくの曇り空であきらめていたが、12分間の皆既食がはじまる10分ほど前に空を見ると、雲の切れ間ができており、上の部分だけが細い三日月状になった月が見えた。残りの本体は茶色っぽい影のように見えていた。あわてて三脚を取ってきたが、カメラと三脚をセッティングしている間にまた雲に隠れてしまった。
三脚がなくても手持ちで月は撮れたのに惜しいことをした。残念だったが、撮れたとしても連続画像でない以上、普段とちょっと見掛けが違う月の画像が何枚か残っただけだろう。
昔、30倍の望遠鏡で月を見たときの異様な感覚を思い出した。それまで10倍程度の双眼鏡で見たことはあったが、肉眼で見る月と見え方は基本的に変わらない。ところが30倍になると、月のもつ宇宙空間に浮かぶ不毛な天体性が現れてくる。立体性の獲得とともに光と影のあわいのクレーターのエッジがリアルに実感されてくる。冷感のようなものが生じ、寂寞というか、畏怖に近い感情も抱くにいたったのだった。かぐや姫の時代に30倍の望遠鏡がすでにあれば、あの物語は生まれなかっただろうと思えるほどだった。
不思議なもので望遠ズームレンズを手に入れると誰もが一度は満月の月を撮影するようだ。レンズの性能テストみたいな意図もあるのだろう。御多分に漏れず私も撮影した。カメラもレンズもお粗末なものだし、二次元画像は立体感と空間性に弱いので、画像を見ても30倍の望遠鏡で見たときのような感覚は生じない。それでも、満月の画像はともかく、半月の画像の光と影のあわいの地形の様相には上記の不毛な天体性が少し感じられる気がする(画像はトリミングしたものだ)。
月とは直接関係ないが、謎の2つの球体が置かれている公園がある。大きいほうは直径110cm程度、小さいほうはその半分くらいだろうか。相当に大きい。明らかに地球と月を連想させる物体だ。素材はセメント系だし、遊具としては使いようがなく、アート作品としては芸がないというか、含意も創意も乏しい。いかなる用途で置いてあるのだろうか、どういう意図で置かれたのだろうか、不思議だ。いっそ皆既月食の原理を説明する教材にしてはどうか。しかし、光源はどうするのか、球体はどちらも固定されており、少しも動かせないではないか。
私は夜景を撮ることはほとんどないが、たまたま夜景を撮っていて、その夜がたまたま満月だと、月を入れて撮影してみようと思う。結果は月が白トビしていたり、周囲にハレーションが出ている残念な画像がほとんどだが、ほんの少しだけ、あ、満月だ、といえる画像が残っていた。