2015年4月8日水曜日

堰越え

その母カルガモは9羽のヒナを孵したが、ほどなく1羽をなくし、子ガモは8羽になった。カルガモの子育ては母親のみが担当する。

ヒナを孵したのは小さな川のどん詰まりの水門部だ。安定したエサ場を確保するには上流に移動する必要がある。が、水門部の入り口には小さな堰がある。これを越えない限り、上流には移動できない。こうして、私を含めた見物人の脅威から逃れるという防衛本能もおそらくは動機となって、母ガモによる子ガモたちの堰越えの訓練がはじまる。

まずは水でも飲んで
腹ごしらえもして
いざ出陣

まず母ガモが見本を示す。川の中央で堰の下に立ち、ひらりと堰の上に舞い上がって着地してみせる。明らかに羽の力を使っている。しかし、子ガモには飛ぶための羽がまだない。脚力だけで跳び上がらなければならない。

ひらりとお手本
これでは飛べない

母ガモは堰の上から子ガモたちを誘う。最初は子ガモたちは跳び上がることすらできず、どこかに上がれるところがないか、堰の下を右に行ったり、左に行ったり。川の端にたどり着いては絶望的に立ち尽くす。この部分に斜めのコンクリート坂でもあれば子ガモは楽に登れるのだが... そのうちジャンプを試みる子ガモが出てきて、不思議なことに2、3羽はほどなく堰越えのジャンプに成功する。残りは依然として右往左往組。堰の下から首を伸ばして上の成功組や母ガモを眺めたりもする。頃合を見計らって母ガモは全員を呼び、一緒に巣に戻って休息する。

右往左往
困惑する子ガモ
失敗
ジャ~ンプ!
成功
堰下の不成功組
早く帰るのよ
お休みタイム

日ごとにジャンプの成功者が増え、数日後には全員が堰越えして上流に移動するものと予想して、以後3日間毎日様子を見に行ったが、シナリオどおりに事は運ばなかった。翌日には2羽しか成功せず、3日後でも成功したのは4羽だけだった。それでもあせることなく来る日も来る日も辛抱強く見守り続ける母ガモの姿には頭が下がったものの、私は辛抱強くない。もういいか、と訓練見学を打ち切ってしまった。

そして一週間後、また気になって川に行ったら悪い予感どおりカルガモ親子の姿は消えていた。予想していたこととはいえやはり呆然とする。が、全員の堰越えが成功した証だと思い直し、上流方向に親子を探しに行くことはしなかった。

しばらくするとやはり気になり、その10日ほど後に親子を探してみることにした。堰の数百メートル上流に橋があり、その下にカルガモ一行を発見。子ガモを数えると8羽だ。1羽の落ちこぼれも出していない。全員だいぶ大きくなり、もう飛べる寸前まで羽も整ってきているようだった。それにしても冷静さ、忍耐力、それに統率力をあわせもったすごい母ガモだった。

再会

2015年4月6日月曜日

先日は皆既月食だった。あいにくの曇り空であきらめていたが、12分間の皆既食がはじまる10分ほど前に空を見ると、雲の切れ間ができており、上の部分だけが細い三日月状になった月が見えた。残りの本体は茶色っぽい影のように見えていた。あわてて三脚を取ってきたが、カメラと三脚をセッティングしている間にまた雲に隠れてしまった。

三脚がなくても手持ちで月は撮れたのに惜しいことをした。残念だったが、撮れたとしても連続画像でない以上、普段とちょっと見掛けが違う月の画像が何枚か残っただけだろう。

昔、30倍の望遠鏡で月を見たときの異様な感覚を思い出した。それまで10倍程度の双眼鏡で見たことはあったが、肉眼で見る月と見え方は基本的に変わらない。ところが30倍になると、月のもつ宇宙空間に浮かぶ不毛な天体性が現れてくる。立体性の獲得とともに光と影のあわいのクレーターのエッジがリアルに実感されてくる。冷感のようなものが生じ、寂寞というか、畏怖に近い感情も抱くにいたったのだった。かぐや姫の時代に30倍の望遠鏡がすでにあれば、あの物語は生まれなかっただろうと思えるほどだった。


不思議なもので望遠ズームレンズを手に入れると誰もが一度は満月の月を撮影するようだ。レンズの性能テストみたいな意図もあるのだろう。御多分に漏れず私も撮影した。カメラもレンズもお粗末なものだし、二次元画像は立体感と空間性に弱いので、画像を見ても30倍の望遠鏡で見たときのような感覚は生じない。それでも、満月の画像はともかく、半月の画像の光と影のあわいの地形の様相には上記の不毛な天体性が少し感じられる気がする(画像はトリミングしたものだ)。

月とは直接関係ないが、謎の2つの球体が置かれている公園がある。大きいほうは直径110cm程度、小さいほうはその半分くらいだろうか。相当に大きい。明らかに地球と月を連想させる物体だ。素材はセメント系だし、遊具としては使いようがなく、アート作品としては芸がないというか、含意も創意も乏しい。いかなる用途で置いてあるのだろうか、どういう意図で置かれたのだろうか、不思議だ。いっそ皆既月食の原理を説明する教材にしてはどうか。しかし、光源はどうするのか、球体はどちらも固定されており、少しも動かせないではないか。


私は夜景を撮ることはほとんどないが、たまたま夜景を撮っていて、その夜がたまたま満月だと、月を入れて撮影してみようと思う。結果は月が白トビしていたり、周囲にハレーションが出ている残念な画像がほとんどだが、ほんの少しだけ、あ、満月だ、といえる画像が残っていた。


2015年4月4日土曜日

破浪雲霄飛車


「いってらっしゃい」というアナウンスと同時にコースターは海上に張り出した40度にも迫らんばかりの傾斜をがたごと登りはじめる。すでに真下に海が広がる最上部に到達すると車両は右にカーブし、マックスの位置エネルギーをゆっくり消費しながら滑らかに走行しはじめる。そしてもう一度右へ曲がった瞬間、車体は最大斜度の軌道を轟音を立てて落下していく。悲鳴とも歓声ともつかない音声が下から見上げる我々の耳に届く。


この光景、もう何度見たことだろう。案内板は3ヶ国語で書かれており、英語ではSURF COASTER LEVIATHAN、中国語では破浪雲霄飛車という。ブルービーチに出現した将棋のコマのようなイメージだろうか(笑)。最近は夏場には途中で水しぶきがかかるような仕掛けもあるような気がするが、はっきりはしない。


高所恐怖と重力加速度の身体的苦痛のハードルを越えがたい私はこのコースターにまだ乗ったことがない。Wikipediaには「日常的にやや強い風が吹き、滑走時に海に突入するような感覚を覚える。日没後はコースの周囲が暗闇となり、別の恐怖感が出る」とある。乗った者にしかわからないこの体感に、個人的な高所恐怖と重力加速度が加わるのである。想像するだけでおぞましい。これまで乗らなかったのは大正解だったとしかいいようがない。

ここのコースターが乗り物としてどの程度のランクにあるのかはわからない。しかし、構造全体の何分の一かをわざわざ海上にスライドさせたような白と水色の鉄骨構造物は、コースターの景観の点では、トップレベルにあるはずだと想像する。もちろん鉄骨だけの構造物など景観的に目障りだと思う人もいるだろう。


ここは人工島である。私の町は戦後、高度成長期にかけての時期に東部の海岸を広大に埋め立て、その臨海地区を産業サイドに独占させることによって、一般市民を海岸線から締め出してしまった。その穴埋めのために造成されたのがこの人工島であり、隣接する人工の浜辺である。人工島はこのコースターや水族館を含むアミューズメントパークになっている。


常識的には考えられないことだが、このパークは入場自体は無料で、誰でも自由に出入りすることができる。つまり、商業サイドに海岸線を独占させていない。一般市民にとって上記の穴埋めが今のところ正常に機能している。喜ばしいことだ。海岸線は私たちの意識のひとつの生命線である。切れ切れにしてはいけない。迂闊に手渡してはいけない。奪われてから気づいてももう遅いのである。


2015年4月2日木曜日

桜山


上の画像は2月にこの公園の一角にある梅の花を撮りに行ったときに撮影したものだ。この公園は昔は競馬場だったそうだが、通常の競馬場と違い、現在の公園の土地にはえらい起伏があるので、競馬場時代のコースや見物の状態を想像するのは難しい。競馬場跡地は戦後米軍に接収され、20年後に返還されて現在の公園になったいきさつがあるようだが、現在でも公園に食い込む形で米軍施設が存在しており、奇妙な独特の雰囲気が公園一帯に広がっている。

画像の右端に小さく3人の人物が見えるが、その少し左手後方から画像の左端まで連なる樹木群はすべて桜の木である。この部分は「桜山」と呼ばれるのを今年になって知った。最近この部分への立ち入り制限の立て札があちこちに立てられたからである。


立て札には次のように書かれている。

    桜山の中に入らないで下さい

     サクラの生育状況が悪くなり、倒木の危険があります。皆様の
    安全確保のため、桜山の中に入らないで下さい。また、サクラの
    根を守るために、踏圧の抑制と土壌改良を行い林床の保全をしま
    す。

このところ桜の木の老齢化(?)の話題をよく目にするが、この公園も例外ではなかったわけだ。これまでも「桜山」の一部は立ち入りが制限されていたが、今年から全面的に立ち入ることができなくなった。ただし、境界線はひざくらいの高さの杭にロープを通したもので、侵入しようと思えばわけはない。昨日は桜が満開で、マナー逸脱の花見客に備えるためか、制服の警備員が目を光らせていた。

下の3画像は昨年と一昨年に撮影したものだが、今年からこの部分を歩くことはできないし、シートに座って花見に興じることもできない。現在の桜の木が寿命を迎えるまで、もう立ち入りは金輪際できないということだ。それはどれくらい先のことなのか。わからない。


最初の画像で「あれが桜山」といわれてもぴんとこないが、満開になると桜の花がてんこ盛りの山になる。桜は並木が定番だが、このようにまとまると圧巻だ。「桜山」とは、桜が植えられた山というより、一年のこの時期だけに見られる桜の花でできる山だ。そして緑の葉が生い茂る季節になると、ちょっとした緑の山のような景観になる。

昨年の桜山
今年の桜山